海外での社会システムづくりのむずかしさ

本年度、佐野事務所は、環境省のプロジェクトに、住友商事JFEエンジニアリングと共同で申請して、「マレーシアのクアラルンプール都市圏における廃棄物管理及び再資源化システムの構築」を採択された。
これは、住友商事を中心として、現地の法人や政府関係者とも連携して、今後の事業化の可能性を模索していたものを環境省プロジェクトとして認められたものである。


国内の知見や技術を海外に移転することの必要性は長年言及されてきていたものである。
今までも、多くのトライアルが行われ、いくつかは実現されてはいる。
今回のプロジェクトが、どのような経過をたどって実現に到達するかは、まだ定かではない。


一般論で言及すると、ここ20年余り、日本の多くの製造業は、海外に生産拠点、そして消費地を求めて展開した。
その多くは、安い労働力、安い土地、安いユーティリティ(場合によるとゆるい環境規制)を求めて飛び立った。
そして、そこで得られた製品を国内あるいは先進国に輸出した。
まさに、「安い」新興国を利用した事業展開であった。
また、社会システムに関わるような事業に関しては、日本の円借款や資金提供に基づいて日本の企業が関わることが多かった。
橋梁、道路、さらには、廃棄物処理の施設整備等もそうである。
いうならば、日本市場との関わりを重視した展開である。
これらの段階を第一段階とするならば、現段階は、次の段階に移行しつつあるようだ。


この第二段階とは、成長する新興国の市場そのものを狙った動きである。
政府からの一部支援はあるものの、そのほとんどが、技術的優位等を活用して新興国市場そのものの開拓を目指したものである。
上記で紹介した、わが社が関わるプロジェクトもそれである。


この段階では、技術優位性を重視するにしても、その地域のニーズに合った技術が求められる。
すなわち、高度であれば良いわけではない。
しばしば、日本の技術に関して批判を浴びるのは、良すぎる(裏返せば良いけれど高い。あるいは、そのレベルまでは求めていない)である。
地域に適合した技術を選択する必要があるのだ。
さらに、その地域の制度や文化習慣にも合致したものであることが求められる。
今回の場合を例にとってみれば、マレーシアはイスラム国家である。
国民の多くがイスラム教であり、宗教の影響が多方面に影響を及ぼしている。
たとえば、豚を一切食しない。これの影響は大きい。
この食文化が、どう社会システムに影響を与えるか、そこまで考えない限り、市場としての新興国市場は考えられない。


さて、今後新しい新興市場の開拓が、この国の経済成長には必要不可欠となりつつあるだけに、これへの試行錯誤は、長い道のりの緒に就いたばかりと言えよう

大学の講義の経験から(その2)

上半期の講義が今月で終わろうとしている。この経験でどんなことを考えたかを少し整理しておこうと思う。
前回は、若い学生にとって、理論と実践事例の学習はどうあるべきかというような視点からの整理をした。
今回は、講義を行うに当たって、どのような点に留意したかということを整理してみたい。


講義を始める前に、困ったことは、何を講義するかの内容ではなく、どのレベルで講義をするかであった。
なにしろ、現在の大学生というのは、ちょうど小生の息子くらいの年齢の学生である。
彼らがどのようなレベルにあるのか、どのような点に興味を持っているのか、全くの白紙であった。
さらに、同志社大学経済学部というものを、30年前に国立大学の工学部を卒業した者が推測するのは至難の技であった。
まさに全てが手探りであった。


その手探りの中で、最初に留意した点は、環境問題、結果的に環境政策の全体像、全貌を俯瞰できるようにすることであった。
どのレベルまで掘り下げるべきかが前述したように全く手探りであったので、ドメインというか、講義の中で取り上げる内容を全体像としてどう見せるか。
そこから、どこまで掘り下げるかを次に考えればよいと判断した。
これは、小生にとっては思いのほかに、良い経験となった。
なかなか、普段扱っている領域の全体像を整理するという作業は、必要にならない。
よって、とても小生にとって良い整理となった。


次に、理論よりも実践事例、具体的事例を上げて、イメージを共有させて説明を行うという配慮を行った。
そのために、事例として、実際に経験した内容を極力加える努力を行った。
結果として、各テーマごとの内容に具体的な事例を加味するという特徴を帯びることができた。
もちろん、全てが、小生が実際に経験した事例で固められたらこれにこしたことはないが、さすがにそこまでは至らなかった。
しかし、各回で紹介した事例の7割から8割は、自らが経験した事例でまとめられたのは良かった。


そして、事例とそれらの理論的なまとめを通じて、今日的な課題、問題点の把握、整理に努めることを試みた。
これは、学生諸君にとっては、かえって、話を難しくさせたかもしれないが、将来、何らかの形で興味を持ってくれた時には、どのような位置づけであったかを把握するのに役立つだろうとの考えに基づくものであった。


果たして、これらの留意点が、どれだけ、うまく講義に役に立ったのであろうか。学生諸君に直接聞いてみようと思う。

大学講義の経験から(その1)

半年ほどの同志社大学での講義で、いくつか気づいた点がある。それらを何回かに分けて整理してみたい。


先ず第一に、若い学生は、理論よりも実践事例を通じて課題がどこに存在するかを理解させた上で、その後に理論等を学習するほうが良いのではないかということ。
現在の大学での講義、特に専門課程では、理論や理論に至る歴史等を学習することが多いように思われる。
しかし、若い学生はその理論がどこで、どう活用できるかの問題認識を有していないのではないだろうか。
もしそうであれば、当然、学習の動機づけに乏しくなる。
一方、実践に置いて理論の必要性を認識した者は、理論の学習の必要性を問題認識した上で学習する。
この方が遥かに実践に即した理論学習ができるのではないかと思う。


近年、社会人の再学習の必要性が論じられることがことさら良くわかった経験であった。


また、講義において最も説明に窮する事は、なぜそのような問題が実際に発生してしまうのかという質問・問題である。
その背景等を知らない学生に説明することは、とても不安なものである。
最初のころに、学生の反応を見ながら講義を進めたが、徐々にほとんど理解できないことを前提に説明するようになった。
それでも学生からの質問が、徐々に内容的に深まってきていることはうれしい限りである。


しかし、講義後に質問に訪れる学生がいることがこんなにうれしいと思うのはなぜだろうか。
今まで、講演等を行った経験は多数あるが、講演後に質問されてうれしいと思ったことはそれほどない。
やはり、ここが大学だからだろうか。それとも小生が年を取ったのか…

CSRの今日的な意義

同志社大学での講義も明日の6月29日で、11、12時限目となり、その準備のために、CSRに関しての今までの経緯、現状を改めて見直す機会を得た。
環境マネジメントから端を発して、環境報告書の作成が多くの企業に展開し、それが今日的には、環境だけでなく、財務面、さらには、企業の社会的な活動にまでを視野に置いた、CSRレポートして展開しつつある。
もともと、CSRとは、企業の社会的責任と訳される通り、企業活動に伴う経済的な責任、遵法的な責任をベースとして、様々な社会問題との関わりで、倫理的側面、社会貢献的側面を加味して、今日的な意味でのCSRを形作りつつある。
もちろん、現在進行形である。
しかも、欧州、米国、日本それぞれのCSRを取り巻く社会的な背景が異なっていることも注目に値する。


CSRレポートにしても、企業活動をまとめて報告するという意味合いが強く、それを報告書にまとめるということで、従来からの年次報告に、環境報告が加味され、それにさらに社会面を加えてCSRレポートとして展開してきた経過がある。
それも、この10年余りのことである。


従来から言われてきたように、遵法(コンプライアンス)+PR以上の意味をCSRに求めるのかどうか、それが問われつつあるように思われる。
ソーシャルマーケティングの視点からは、様々な提案や前向きな動きも存在している。
果たして企業とはなにか、が改めて問われる段階になりつつあると思われる。
今後の議論は、非常に意義深いと思われる。

村上春樹のバルセロナでの反原発スピーチ

6月9日にスペインのバルセロナであった、カタルーニャ国際賞の授賞式での村上春樹の反原発スピーチが話題となっている。
少しだけそのポイントを紹介する。


まず、日本人の精神性の紹介として無常観を提示し、その無常観が、日本人を災害へも仕方がないものと受け入れた上で、集団的に克服を何度も実践してきた。今回も同様となることが期待されている。また、そこに日本人の美意識も存在することを述べている。 
その上で、広島にある原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」を紹介して、なぜ、我々は、原発を受け入れてきたのかと自問をしている。原発と原爆を同一のテーブルで論じることに抵抗感がないわけではないけれど、核に対する抵抗感が強いこの国で、なぜ原発を受け入れてきたかと展開。「効率」と「便宜」という言葉をキーワードにしてその原因を探る作業を展開していく。
さらに、こう続く。「日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだった」と。
そして、こう結ぶ。「それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。


さて、IAEA事故報告を基にしての、原発再開・継続利用論が、徐々に、夏場の電力不足を脅しにして、動き出している。
村上氏のような反原発論、また、徐々に原発からの脱却を図る脱原発論を交えた議論の進みを注視したい。

講演会 震災後のエネルギー政策〜これからの「国のかたち」を考える〜

昨日、6月12日に、神奈川県の二宮町で上記タイトルの講演会に招かれ、1時間半ほどの講演を行った。
その後、同じくらいの質疑応答の時間が続いたのには、驚きであった。
50人強の方々がいかにこの問題に関心が高いか改めて実感した。


今回の講演では、次の四点をお話しした。
1/ 福島原発の事故原因は何だったのか
2/ 東電の賠償問題をどう考えるか
3/ この夏をどう乗り切るか
4/ エネルギー政策の将来。この国のかたちをどうするか


まだ、終息していない福島原発に対する関心の高さ、当然と言えば当然であるが、
それを踏まえて、地域としてエネルギーの自立ということをどう考えるかを最後の問題提起として、
小さな地域であっても、そこでできること、できないことを考え、一歩踏み出す提案として「神奈川自立型エネルギー推進機構」を掲げた。

原子力発電所の再開問題は大事な一里塚

今回の震災を踏まえて、原子力発電所を巡る方向性は、今後の日本社会の姿を決める重要な要素として位置づけられる。
どうも、政府は、夏場の電力不足を補うために、早急に、休止あるいは点検中の原発を再稼働させたい意向のようである。
しかし、少なくとも、今回の福島第一原発の事故原因に対する分析を踏まえた安全対策、さらに、将来向かっての電力供給のあり方、国民への電力需要に対する考え方を明示しなければいけないのではないだろうか。


事故原因に関しては、多くのマスコミや政府関係者からは、
 1/ 非常用電源の対策として、高台に非常用電源を用意する。
非常用電源に更なるバックアップを用意することによって、サイト内のブラックアウト(電源が全て消失してしまうこと)を回避する対策を行う。
 2/ 津波対策として、新たに防波堤等を用意すること。
この二点を対策として掲げて、対応しようとしていると思われる。


しかし、以下のことについては疑問を呈したい。
A/ 非常用冷却の消失段階の原因として、配管破断が論じられることはほとんどないが、本当にそうなのだろうか。
非常用冷却水の消失は、非常用冷却装置の不作動によって、燃料棒がメルトダウンして云々となっているが、冷却水の消失は配管破断によるのではないのだろうか。
これは、情報がなくて、推測の域を出ないが、もしそうであるならば、耐震設計上の見直しが急務となる。
それも、今でも非常に厳しい耐震設計を行っているものをさらに設計条件を厳しくする必要がある。


さらに、電力の供給問題としては、
B/ 発電と送電の分離をどう考えるのか。
C/ 発電の供給は、全て電力会社に任せて、二酸化炭素の発生が少ない天然ガス等を当面は対応するにしても、中期的な方向性は、菅首相再生可能エネルギー云々と言ったままである。
D/ さらに、電力の需要に対するあり方は、今夏に15%削減を東京電力管内で実施する方向だけは打ち出されているが、それでは、中期的にどうあるべきという議論は何もない。
また、東京電力管内以外でのあり方に対しても何もないに等しい。


これらすべてに対しての方向性が、詳細にわたらなくても総論的に論じられて、初めて原発がどうあるべきかが分かるはずである。
拙速な原発の推進は、百害あって一利なしであり、この震災を千載一遇の機会ととらえて、将来像を論じる重要な機会を失うことが危惧される。