「屋根の共有による太陽光発電市民ファンド」という試み -その1-

現在、市民によるファンドへの拠出により、小規模太陽光発電を加速させようとする試みを思案中である。
すなわち、市民から民家の屋根を借りて、市民による資金で、市民によってエネルギーの自立への試みを行おうとするものである。
このファンドのキーワードは、古くて新しい言葉、「共有」である。
私有でもなく公有でもない、共有である。


日本の土地に対する所有の考え方は以下のような理解で良いかと思われる。
明治時代、日本の国土は、土地の私有制を認められるところとなる。
この時に、徴税との関係で、公有地と私有地に分割され私有地と徴税は組み合わせられた。
換言すれば、徴税できないところは公有地とされる。
現在でも、森林や河川敷や海岸線等で、公有地が多いのはその理由による。


公有地に関しては、国及び地方自治体による公共事業等により、インフラの整備が戦後昭和30年代以降加速化した。
そうした中で、私有地というものが様々なインフラ整備に対してのネックとして顕在化してきた。
たとえば、成田空港がそうである。
成田空港の整備に当たって、その整備用地の一部に私有地が存在しそれが開発の障害となり、現在に至っている。
成田空港闘争のことである。
このような例は枚挙のいとまがない。


原発の立地にしても、様々なインフラ整備に当たって、私有地の買い取りということが必要になる。
その時には、地権者や漁業権者が最大の障害となる。
ところが、ここでその私有地の買い取りが成功すると事業は即座に加速化される。原発にしてもそうである。
どんなに反対運動がかまびすしくても、土地が買収されてしまうと議論は徐々に終息の方向に向かう。
これは、日本固有の動き方である。
おそらく、欧米であれば、最後まで原子力発電所の安全性が議論されるであろう。
それが日本の場合には、私有が認められるがために私有が制限され、結果的に公有、公的利益が損なわれる。
不思議な構図である。


これを見直すのは、私有でもない、公有でもない、共有という中間概念を新たに日本の社会に根付かせること。
大それたことだが、それを意識して、屋根の貸借による共有の太陽光発電市民ファンドを考案した。


今後、何回かに分けて、その考え方を紹介しつつ整理してみたい。