原子力発電を巡る経団連米倉会長と菅首相

原子力発電を巡る動きが、場外乱闘のようになりだしている。発端は、当然菅首相
彼の個人的意見としての脱原発発言、さらに、メガソーラー構想、既存原子力発電所に対するストレステストの実施等である。
一方、経団連の米倉会長は、今までの既存の経団連の会長とは、かなり異なるスタンスで発言されているようである。
経団連は表立っての政治的発言は、場所をわきまえ慎重にしていたという印象が自民党時代には強い。
おそらく、それは、見えないところでの調整ができていたということの裏返しかもしれない。
それが、民主党、特に菅政権になって、パイプを完全に失ってしまった。
米倉会長の余りに感情的な原発推進発言として表面化していると考えるのが、妥当であろう。


では、現時点でどちらが妥当なのであろうか。
米倉会長は現実的な発言をしていて、菅首相が感情的で、支離滅裂というメディアを通じた印象が強い。


しかし、良く考えてみると、菅首相の発言は、一つ一つは間違っていない。
問題は、そこに脈略がないこと、説明性がないことである。
もちろん、これは大問題。政治家として大変問題ではある。
脱原発」は、当然、論じるべき課題であることは間違いない。
但し、彼の発言を良く聞いていると、脱原発なのか、反原発なのかよくわからない。
脱原発は、既存の原発を稼働させながら、徐々にフェードアウトしていくこと。
原発は、原発と縁切りして、新たな方向性を直ちに打ち出すこと。
それ以外には、原発を継続利用する、拡大させないまでも今の発電規模をほぼ維持すること(米倉会長でもそこまでしか考えていないはず)ことしかあり得ない。
この辺りは、具体的な発電量とスケジュール感を持った現実的な論議が必要で、感情的かつ唐突に論じられるような話では全くない。
国のあり方そのものが変わる話である。


さらに菅首相が言及しているストレステストも、ある意味では当たり前のことであり、問題は唐突に出てきたこととストレステスト後のシナリオを考えていないことである。
ストレステストで本当に考えなければいけないことは、福島原発事故の原因が何か。
それに対してどう対策を講じるか。
この点だけで十分である。
すなわち、津波によるブラックアウトを防ぐような対策だけでいいのか、地震による配管破断はなかったのか。
もしあったならば、耐震基準の見直し、さらには、既存施設の応急的な対策が必須の課題となる。
これを明確にしていない。
菅首相は、本来、この点を関係者に明確にするように指示して、国民に対して、その経緯と結果を説明するべきである。
しかし、現実はそうなってはいない。


どう原発と向き合うか、決着をつけるか。まさに、この国のこれからの形を決める時が迫っているように思われる。